最後の砦 難攻不落のマサダの要塞へ
マサダの要塞とは…。何も知らない私は家族1にこっそり聞きます
ローマ軍が攻めてきたときに最後の最後までこの要塞でローマ軍と戦っていたんだよ
出ました。気持ちのいいくらいドヤ顔です。
マサダ要塞で何があったのかさくっと調べました。
マサダの要塞
マサダとはヘブライ語で要塞のこと。(ということはマサダの要塞は要塞の要塞ってこと?)
紀元前120年頃、後にヘロデ王が離宮として建設しました。死海を見下ろす岩山の上に建っています。
要塞は1,300mに及ぶ二重の防壁で囲まれ、見張り塔や兵舎、食料を入れたと思われる数百の壺や武器を収めた貯蔵庫、4万㎥の水を貯められる12の貯水槽などがありました。居住棟、貯水槽、塔、池、管理棟、倉庫などがあり、敵の攻撃に備え、巨大な武器庫を持ち、畑からの食糧確保も考慮に入れていました。
2棟建てられたうちの、北側のものはヘロデ大王の私邸とされ、崖の縁に位置し、列柱に囲まれた大広間には3つのテラスが、寝室には半円形のバルコニーが設置されていることから、エン・ゲディ(オアシス)や死海、モアブ山などを一望できます。
西側に建てられた宮殿ではで、執務を行ったり、客人をもてなしたりできる部屋だったと考えられています。さらに浴室やサウナ、大浴槽、冷水浴槽などがあり、床はモザイクで飾られていました。
マサダの戦い 第一次ユダヤ戦争
紀元66年、ユダヤ人はローマの圧政に反乱を起こし、女性や子供を含む967人のユダヤ人がマサダの頂上の砦に立て籠もりました。ローマ軍はエルサレムを占領してから3年後の紀元72年に、1万5000人の兵士を送ってマサダ攻略戦を開始しました。
ローマはマサダの周りにいくつもの陣営を築いて攻略に当たりました。ですが天然の要塞であったため、大苦戦していました。そこでマサダの中で一番高低差が少なかった西側の斜面に長い時間をかけて土を盛ってスロープを作り始めます。そこでは奴隷となった同じユダヤ人が工事していたため攻撃できずに完成してしまいました。
3年がかりで砦の絶壁が埋められ、完成目前となった突入路を見て敗北を悟ったユダヤ陣営は(降伏すれば全員が奴隷となるのが当時の慣習であったため)ローマ軍の突入前夜に集団自決を選びます。
ローマ軍に凌辱され奴隷にならないために、男性たちは家族をその手にかけていきます。ユダヤ教では、神様に創造された生命を自らの手で落とすことは最大の禁忌なため、くじの部屋で10人の男性を選びました。まず、くじで選ばれた10人が残った人たちを次々とその手にかけていきました。その後、この10人の中で最後の1人をえらび、その1人が9人を殺しました。
ローマ軍は死にもの狂いの抵抗を予想していましたが、当然防戦する者は1人もいませんでした。ユダヤ戦記には穴に隠れていた2人の女と5人の子供だけが生きのびたと書かれています。
このためイスラエルでは、二度とマサダを落とさせない! が合言葉になっています。
マサダは現代ユダヤ人にとり、民族の聖地となっている。イスラエル国防軍将校団の入隊宣誓式はマサダで行われ、士官学校卒業生は山頂で「マサダは二度と陥落せず」と唱和し、民族滅亡の悲劇を再び繰り返さないことを誓う。
マサダ-Wikipediaより
とても詳しく書かれたテマサトラベルさんのブログのリンクを張っておきます。
最後の砦 マサダ テマサトラベル①
最後の砦 マサダ テマサトラベル②
最後の砦 マサダ テマサトラベル③
マサダの要塞に到着
8月後半のマサダの要塞。本気で熱いです。灼熱です。カラカラです。
ロープウェイに乗って上まで登ります。高所恐怖症にはとてつもなく怖かったです。スローブとか震えて歩きました。
謁見の間
ヘロデ大王の時代。マサダの敷地内から掘り出された石灰石のブロックを再利用し壁にしました。大理石のように見せかけるため、漆喰を塗り、表面を滑らかに磨き上げ、その上からフレスコ画で美しく飾ってあるそうです。
マサダ式サウナ
床は柱で支えられていて、床全体が暖められるようになっています。
壁には、中が空洞になったレンガをパイプのようにして温めた空気通し、部屋全体を温めました。天井はアーチ形で湯気が冷やされ水になっても壁を伝って床まで落ちてきて、また温められるようになっていたとか!すごい!
全貌はこんなだったのか!と行く前に勉強しなかったことを後悔しています。
運が良ければ建物の中で旧約聖書を書き写しているラビが見られたりするそう。緊張感でうっかりくしゃみして怒られそうな私が目に浮かぶ。
クムランへGO
クムランと聞くとどうしても魂のルゥフラァーン♪と歌いたくなります。
クムランになぜに来たのかと言いますと死海文書なるものが発見された場所だかららしいです。
死海文書とは
死海文書は、1947年にパレスチナの死海のほとりの洞窟から偶然発見されました。羊飼いの子どもが迷子のヒツジを探していたときに見つけたとされており、史上最も重要な考古学的発見と言われています。
ユダヤ教のエッセネ派とされるクムラン教団により主に羊皮紙やパピルスの巻物にヘブライ語、アラム語、ギリシア語で書かれています。中でも、クムラン地域の11の洞窟で見つかった約800点の古文書の断片が有名。
このうち200点は旧約聖書の写本、600点は旧約聖書には含まれないユダヤ教の文書(外典や偽典)や中には世界の終末や財宝のありかを示す文書まで含まれていました。今ではクムラン地域以外の死海周辺で発見されたものも含め、死海文書と呼ばれています。
クムランでの写真たち
見つかった洞穴へ向かう人たち
死海文書が入っていた素焼きのツボのレプリカ
うっすらピンクで矢印した文字たちは神様をあらわす文字のため大きくかかれているらしい(記憶が遠いので詳しい人いたら教えてください…)
先のマサダから灼熱がすぎてこのころの私はもう記憶も記録も何もないです…。
いざエリコへ
つぎに訪れたのはエリコです。ここはエリコは、エルサレムの北東約 20km、死海の北側でヨルダン渓谷西側にある世界最古の町。紀元前1万年には人が住んでいたとされており、海抜マイナス260mという世界で最も低い町でもあります。
古代遺跡テルアルスルターン、新約聖書に記された誘惑の山、ウマイヤ朝時代のヒシャーム宮殿や「スルタンの泉」と呼ばれるオアシスがあります。エリコの名前は『旧約聖書』にも繰り返し現れ、「棕櫚(しゅろ)の町」として知られています。
エリコで何があったの?長いから面倒な人は飛ばしてね
エリコといえば楠田。上からはマリコ。世代さらしてしまったところで、エリコでは何があったんでしょう。
旧約聖書によると、紀元前9世紀の預言者エリシャが、飲用に適さなかったこの水源を塩によって清めたという伝説があります。この水は、現代のエリコにおいても畑の灌漑などに利用されています。
まずはヨシュア記から
~ 出エジプト(世界史の窓さんに飛びます)モーセの死後 ~
神様\次は君に頼むわ。とりあえずヨルダン川を渡りや。約束の与えられている地に向かってな。/
と言われたヨシュア。とりあえずエリコの街にスパイを送ります。エリコのスパイは遊女の家でなんやらかんやら活動していましたが、さくっと見つかります。しかし、ラハブという娼婦のおかげで助かります。ラハブは自分と親族は助けて欲しいと頼みます。
ヨシュア派スパイ「わかったやで。ちゃんと赤い目印つけて中にいといてな。」
と、ヨシュアの元へ戻りエリコの様子を報告しました。
その翌日、イスラエルの民である彼らはヨルダン川を渡ります。その時に水せき止められていい感じに渡れました。そこで「こりゃモーセの後継者で間違いなしやな…」とヨシュアを認めます。
そこで神様はヨシュアにエリコ陥落作戦を伝えます。
神様\契約の箱を担いで、六日間は町を一周し、七日目は七周回りや。祭司が角笛を吹いたなら、でかい声をあげて前進してみいや/
そして言われた通りに行うとエリコの城壁は崩れ去り、先住民を一網打尽。ラハブ一族以外は聖絶されましたとさ。
新約聖書でもエリコ登場
①イエスがヨハネから洗礼を受けた場所 (マルコによる福音書 1章9-11節 ルカによる福音書3章1〜22節)
イエス・キリストはガリラヤからヨルダン川のそばで説教をしていた洗礼者ヨハネのもとに洗礼を受けに行きます。洗礼者ヨハネは、イエスに洗礼をするのではなく、自分こそイエスから洗礼を受けなければならないといって断ります。ですがイエスは、これが神のみ心にかなったことであると譲らなかったので、洗礼者ヨハネはイエスに洗礼を授けました。
②悪魔の誘惑の山 (マタイによる福音書第4章 ルカによる福音書4章1〜13節)
イエスが洗礼を受けた後、ユダヤの荒野で40昼夜断食します。その時に悪魔から誘惑されます。
悪魔「神の子なら、これらの石がパンになるようにしたら?」
イエス「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』とかいてあるんで。そういうのお断りします。」
悪魔「神の子なら、神殿の屋根から飛び降りてみてよ。神がイエスのためにケガしないように天使が助けるって書いてるし、平気っしょ!飛び降りてみてよ!ねぇ、いいじゃん!そんなの見たらバイブスぶち上がるぅ!」
イエス「はぁ、『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてあるんでお断わりします。」
悪魔「んじゃあさ、もしよ、もし私にひざまずいて拝めばこの山から見えてるの全てイエスのものでいいよ!どう?いい条件でしょ?フゥ!」
イエス『もうあっち行ってもらえます?『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてあるんでお断りします。」
すると悪魔は去り、天使たちが来てイエスに仕えましたとさ。
③ザアカイが徴税人の頭を務めていた町 (ルカによる福音書 19章1~10節)
ザアカイは徴税人の偉い人でした。当時、この仕事はお金持ちであれども人々から蔑まれる仕事。請負制のため、ローマ帝国に請け負った額以上に、同胞のユダヤ人からきびしく取り立て私腹を肥やしていました。だから裏切り者、不正をする罪人としてめっちゃ疎まれています。ザアカイは何やらすげえイエスってやつが街に来ると聞いたので一目見ようと向かいます。が、小柄で見えないため桑の木に登って待ちます。するとやってきたイエスはザアカイを見上げて「ザアカイ、降りてきなYO!今日は君の家泊まるわ!よろしくね!」と言います。周りで見ていた人々はイエスが「罪人」の家に泊まるといった言葉にこだわり「なんで!あいつ罪人じゃんよ!」と不快指数マックスです。 そうした人々を尻目に、ザアカイはイエスにいいます。
「このザアカイ、財産の半分を貧しい人々に施します。 もしだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」そしてイエスは、「救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。 人の子は、失われたものを探して救うために来たのである。」とザアカイに救いを差し伸べたのでした。
④道端に座っていたバルティマイという盲人の物乞い (マルコによる福音書10章46~52節)
イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒にエリコを出て行こうとしたとき、バルティマイという盲人の物乞いが道端に座っていました。イエスに気づいてほしい彼は叫びます。「ダビデの子イエスよ、私を憐れんでください!!」黙らせようとする人に構わず叫び続けます。
すると気づいたイエスは彼を呼ぶように言い、何をしてほしいか聞きます。バルティマイは「もう一度、見えるようになりたいです!」と答えます。イエスが「あなたの信じる心があなたを救った」というとすぐバルティマイは目が見えるようになりました。
エリコに着いたよ
ということで、とりあえずランチになりました。TEMPTATION(誘惑)レストランとのことで、こちらのキリストジョークの効いたネーミングに皆さん楽しそうでした(私はtemptationが誘惑という意味も知らないし、ここで悪魔の誘惑の話も知らないのでおバカ丸出しでした。エヘッ!)テンプテーションズは誘惑してたんだわ。という頭良い人たちの話を聴きながら食べ終えると、お土産屋さんになっています。死海の化粧品やTシャツなど定番のものや、有名なデーツもお安い価格でありました。
あちらのご飯はいつもビュッフェスタイル。
すてきなお店でした
エリコの写真
エリコの要塞
何が何だか記憶のないまま次はガリラヤ湖周辺へ。
この日のホテルへ
ホテルはガリヤラ湖近からやや離れたヤコブホテルです。こちらで一泊。食事の様子などは別の回に書ければと思います。
アニメの主人公が訪れた街のような雰囲気。素敵。テンション上がる。
次回はガリラヤ湖周辺です。
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